2009年7月19日日曜日

愛せよ!アートマネージャー

*本稿は、2007年 (社)企業メセナ協議会発行「メセナセミナーシリーズ No.10」への寄稿文
「メセナ未実施企業の視点から 3」の転載です。


【 試練は続くよ社内でも 】

 これは、体験に基づいたフィクションである。しかも、かなり極端な例だと思っていただきたい。主人公は、中堅企業の広報部門に所属し、企業には社会貢献活動が必須!との思いを抱く担当者。個人的には、アート好き。といっても話題の美術展をデートの口実にする程度だ。支援要請に訪れたアート団体代表者との半年に及ぶ交流を経て、その団体が主催する展覧会に対して、なんとか小額の協賛を社内で勝ち取った。【協賛の目的と効果】。硬い文言で始まる稟議書を書き、課長、部長のハンコを得て、晴れてメセナ実施企業の仲間入りだ。いわゆる広告代理店系のイベントなら、おつきあいで協賛したことはある。ただし、アート団体との直接的な関係は初めて。経費名目は、寄付ではなく広告宣伝費。このほうが、拠出のハードルが低いからだ。
 本番一ヶ月前、チラシが郵送されてきた。自社名がきちんと記載されていることを確認し、早速上司に報告する。上司は、2ヶ月前に販売促進部門から異動してきた年配社員。いきなり気勢をそがれた。
「字も細かいし、意味がよくわからない。それに、どこに広告が載ってるんだ?」
たしかに、“インスタレーション(Installation)”の意味なんて、一般的には馴染みがない。わかりやすくタイトルを目立たせよ、というチラシの定番からも遠い。
「わ、、、私は好きです、こういうの。それにスポンサーじゃなくて、メ・セ・ナ、なんです」
しどろもどろの担当者。この業界について、独学で随分勉強はしてきた。しかし、部長席の前で立ったまま、理路整然と説明しきれるほどではない。
「では、一度見にいきましょう」
この切り替えしは適切。少なくとも、現場を体験すれば上司にもわかる“はず”だったのだから。

【 I'm a Alien in Art 】

「ぜひ見に来てください。お待ちしています」
 代表者にアポをとったつもりで、会場に出向いた上司と担当者。今日は、展覧会のオープニングだ。廃校を利用した会場、なかなかに味がある佇まいだ。受付には、学生らしき方が二人。広告代理店系のイベントならば、ここで営業担当者が出迎えてくれ、上司を“しかるべき人”の元へ丁重に案内してくれる。たとえ形式的であろうとも協賛のお礼を言われ、コンサートの場合なら、スポンサー招待席に案内してくれるはずだ。
「代表の○○さん、お願いします」
不安な担当者。
「準備で“ルーム××”にいると思います」
罪のない笑顔の受付。とりあえず場所を聞き、そこまで自力で行くことにした。
 道すがら、廊下のあちこちに作品が並ぶ。見たこともない造形物、上司がどう感じているかが気になる。案の定、説明を求められたが、担当者にも説明のしようがない。そこに、黒づくめの格好で、あわただしく走り回る代表者が現れた。救いの神!とばかりに声をかける。立ち止まり、上司と丁寧な挨拶を交わす代表者、少しほっとする担当者。しかし、彼はまた一瞬でいなくなった。結局再び言葉を交わしたのは、すべてが終わって帰途につくときだけだった。アートの現場とは、かくも多忙なものなのか。
 ルーム××に着くと、そこは人でごった返していた。年代、国籍、服装も様さまざま、ただし、スーツ姿の男性は、担当者と上司しか居ないようだ。自分たち以外は、どうやらほとんど顔見知りらしい。軽い疎外感を感じつつ、会場の隅に陣取り、紙コップのビールを口にした。ほどなく代表者がマイクを片手に挨拶を始める。少しはこちらを気にかけてもらえるかと思ったが、そうでもない。上司は口にこそ出さないが、“スポンサー様”との明らかな扱いの違いに困惑しているようだった。続いて始まるコンテンポラリーダンス。時折かしげられる上司の首が目の端に痛く、気になって集中できない担当者。。。
 そこは誰にでも開かれた場で、たしかに何も拒否はされなかった。しかし、担当者と上司にとって、お世辞にも居心地がよいと言える場ではなかったはずだ。自分たちは異邦人、そんな感覚を禁じえなかったのは、企業側の勉強不足も積極性の欠如もあったことと思う。では、アート側から招き入れる努力は十分だったのだろうか。

【 “終わり”は“始まり” 】

 支援企業に媚びる必要はまったくないし、そもそもメセナとスポンサーは違う。お互いの意思をもって結びついたパートナーとして、両者は対等なのだということを企業側は自覚すべきだ。かといって企業はアート関係者ではなく、意識や経験に格差があることも事実。何しろこちらは、この分野に関してはド素人なのだから。現場が多忙なのは理解するが、今回の事例でいえば、せめてスタッフの方に会場を案内してもらい、自分たちの活動を伝える努力をすることは不可能だったのか。せっかく現場に出向いても、立ち居振る舞いの仕方も、展示の内容も、誰がキーマンなのかもわからない。しかも、決裁権があるのは、担当者より明らかに理解度が低い上司。これでは、次回の支援要請のハードルを、自ら上げているようなものだ。
 日常に戻ったオフィス。担当者には、折に触れ開かれる部内会議で、活動を報告する義務がある。再び向き合う【協賛の目的と効果】。しかし、あまりにも情報が足りない。来場者は何人か、メディアには取り上げられた、つまり社会的評価はあったのか。そんな基本的な情報すら、すぐには入ってこない。アート関係者にぜひともお願いしたいことは、企画が終了すればできるだけ早く、何かしらの報告をして欲しいということだ。凝ったものは不要、ワープロ打ちA4一枚で十分。礼状を添える心遣いがあれば、なおすばらしい。それだけでどれほど担当者は助かり、上司に対して顔が立つことか。その報告書をもとに、担当者は判断材料を示さなくてはならない。その協賛に価値はあったのか、次回の協賛を“するべきか・しないべきか”。報告は完了の挨拶ではなく、次回の支援要請への第一歩。報告こそ、熱意を持って行っていただきたいと思う。2~3ヶ月もたった頃、展覧会の図録が送られてきた。資料としての価値は大きいが、必要とされるタイミングは逸していた。

【 持続可能な関係を 】

 企業とアート、住む世界も感覚もまったく違う相手同士、双方の事情をすべて満足することは難しい。しかし、ほんの少しの気遣いだけで、随分印象は違うはずだ。パートナー探しは恋愛に似ているが、一夜の恋であってはいけない。口説く課程の情熱を忘れ、釣った魚に餌をやらないような真似は、お互いにとって不幸なことだ。“運命の出会い”なんて稀なこと。良い関係は、双方の努力によって徐々に築かれていくものだ。「あなた(御社)と一緒にいたい!」なら、すれ違いには、双方くれぐれもご用心を。