2009年7月19日日曜日

愛ある限り戦いましょう!

*本稿は、2007年 (社)企業メセナ協議会発行「メセナセミナーシリーズ No.10」への寄稿文
「メセナ未実施企業の視点から 2」の転載です。


【 覚悟のススメ 】

 「よし、上申するか。」決意したのは、中堅企業の広報部門に所属する若手社員。アート団体の支援要請をうけ、初めてアートプロジェクトへの支援を決意した。企画書は何度も読み返し、自分なりには理解したつもりだ。しかし、どうやって「支援の必要性」を上司に伝えるべきか。「この企画は芸術的クオリティが高いからオススメです」。残念ながらそんな理由で予算が使えるほど、メセナ未実施企業は甘くない。まず支援することが前提であれば、クオリティは判断基準になりえる。しかし、未実施企業にとっては、まず「メセナをするか・しないか」が最初のハードルになる。メセナは「社会にとって必要」でも、それが「今、自社がやる」べき根拠ではない。広告を出さなければ売上が落ちる。環境に配慮しなければ、社会的にも法的にも罰せられる。しかし、社会貢献やメセナをしないことで、企業が直接的に罰せられることは未だありえない。強制力がないとなかなか前に進まないのも、また大勢。上申とは、このような現状にある未実施企業の担当者が、予算を勝ち取るまでの厳しき戦いなのだ。
 メセナ実施企業であれば、一定の予算を計画的に確保している。しかし、未実施企業の場合は、計画外の予算となり、「稟議(リンギ)」とう手続きが必要になる。稟議とは、「私は、以下の理由と目的で、いくらの予算を使いたい。ご承認ください。」という公式の「お伺い書」。金額や内容に応じて承認すべき役職者が違い、役員や企業トップの稟議も当然存在する。承認否認に関わらず、こういったプロセスそのものが、「経営判断」として企業では記録に残され、監査の対象になっていることをご存知だろうか。万一、経営問題が指摘され株主代表訴訟が起こされた場合、経営者が不適切な案件に関して「適切に否認した」証拠にもなる。承認されれば「錦の御旗」、否認されれば・・・・。稟議を提出するのもそれなりに覚悟のいること。企業人にとって、決して「ダメモト」で行うべき行為ではないことを、まずご理解いただきたい。

【 リンリンリリンリンリンリ ♪ リンギ 】

 稟議書のテーマは、「協賛の目的と効果」。最初に、支援案件の5W1Hをまとめる。アート側からの企画書にはこの点が不明確なものや、逆にかなりの長文のものもあるが、それでは書類にならない。経営判断に必要な条項を、A4一~二枚程度にすっきりまとめるのが基本だ。日々膨大な書類が飛び交う企業内にあって、長文はまともに読んでもらえないと思うべきだ。
次に、担当者として案件を分析し、結果、「協賛の価値アリ」と論理的に説明する。まず、「社会性」「芸術性」について。一番重要なポイントにも関わらず、未実施企業は、判断根拠を自社内にまだ持たない場合がある。ならば、客観的事象から証明するしかない。よく用いられるのが報道記事。報道とは、市民の視点から価値判断された結果。その団体や企画についての報道があるということは、ある一定以上の社会的評価があることの裏づけとなる。加えて、他の協賛企業名。「あの大企業」の社名が並んでいるということは、たしかな目で「価値アリ」と判断された根拠となる。第二に、イベントの関与者が、自社にとってどういう位置付けの人物群なのか。自社の顧客層と合致すれば話は早いが、そうでなくてもなんとか自社や業界との関連を探す。次にチラシやポスターへの社名掲示などの企業名露出の度合い。加えて、入場券が提供してもらえるなら、福利厚生として社員に配布できる、などなど。。こうして、たった一通の企画書を、タテ・ヨコ・ナナメから眺め、あらゆる可能性を列挙した書類が完成する。結果として、「添付資料」として提出されるアート団体の企画書とは、似ても似つかぬ代物となる。
 最後に、支援金額を決める。お気遣いいただいてのことだと思うが、「ご無理のない範囲で。」と言われると困惑する。金額の正当な根拠を提示されれば納得性もあるが、出せるだけ出してくれ、では通らない。しかたなく今回は、自社の企業規模や他の資金の使い方から推測して、「まあ、こんなもんだろう」という金額を記入することにした。予算項目は、「広告宣伝費」。チラシなどへの社名露出を伴うことから、広告的な要素を含むと判断したからだ。

【 異文化コミュニケーション 】

 アート側から見れば、理解できない作業だろう。しかし、企業にとっては必要なプロセスだ。企業、とりわけメセナ未実施企業が必要とする価値と、アート側が提示する価値とは必ずしも同じではない。担当者の行為は、アート側が提示する価値を企業語に翻訳し、必要に応じて付加価値をつけて社内に再提示する作業だと言える。
 まさしくこれが、企業メセナ担当者、アートマネージャーが担うべき役割ではないか。両者は企業とアートの「接点」として、企業語・アート語二ヶ国語を操る翻訳力を駆使し、異なる価値観を結びつける努力を続けなければならない。企業とは、複数の人間の営みの集合体。加えて昨今、株主など企業を取り巻くステークホルダーの存在感が増していることもあり、企業に向けられる価値判断の目は、ますます多角化している。だからこそ、複数の関与者が理解できる言葉でアートの価値を提示する努力を続けるべきだ。
 加えて、リストラや経費節減、業績順調な企業であっても、なんらかの「痛み」を抱えている。メセナは景気に左右されず継続が重要、しかし痛みの当事者が、はたして同じ気持ちでいられるだろうか。納得は得られないまでも、当事者が理解できる価値を示す努力を怠ってはいないだろうか。

【 目指せ交際宣言 】

 出会って口説いてその気にさせて、パートナー探しは恋愛に似ているかもしれない。ただ、普通と違うのは、最初から企業という複雑な所属を背負った恋愛、いわば、家族ぐるみのお付き合いを強制されることだ。あなたの前に笑顔で現れるために、恋人が家庭内で行う努力は、かくも厳しき戦いだ。すぐに支援の可否が決められない事情もご理解いただけるだろう。それを「あの企業は理解がない」と切り捨てるのではなく、理解がない企業を変える努力を、担当者と手を取り合って続けて欲しいと思う。アートの力とは、それらを苦難を乗り越えてなお社会を変える力を持つべきものだと信じたい。であるからこそ、企業の事情を知った上で、臆せず、おごらず、自らの価値を堂々と主張すべきだ。「そんな交際、父さんは認めんからなっ!」と関係断絶を宣言されればアウト!なにせ、企業内の「父さん」に、企業人とは逆らえないものなのだから。