2009年12月1日火曜日

ウッカリはゲンキン

【 過ぎてからの手紙 ―love letter from partner―  】

これは、実体験に基づいたフィクションである。主人公はある企業のメセナ担当者。数年の経験を経て、兼務する業務も増え、日々忙しく過ごしている中堅社員だ。
「あれ?この請求書、先月のイベントの分じゃん!?」月初二週目に入ろうかという頃、担当者宛に封書が届く。開けてみると、先月初めに実施した協賛のイベントの請求書。発行日付は当月1日となっている。それを郵便で発送したものだから、休日の関係もあり、担当者の手元に届いたのがこの時期になったようだ。「もー!早く送れって言ったじゃん!」と毒づきながら、あわてて経理部に駆け込む担当者。「締め処理が終わりましたので、次月度処理ですが。。。。」気まずそうな経理担当者。請求書の未着に気がつかなかったのは、担当者のミスでもある。無理を通すのは筋違いだと思い直し、すごすごと自部署に引き上げた。

企業人にとって、月度締後の大事な仕事である「支払い処理」。これは、前月度に発生した経費を処理する作業、具体的には自部門でチェックした請求書の束を経理部門に送り、請求先への支払いを依頼する業務だ。これをミスると請求先に費用が支払われない。そうなれば我社の信用問題、“間違いなくきっちりと”処理を行って当たり前の業務である。
こうした処理は、企業ごとのルールに従って実施される。この企業の場合、経費発生月の月末で締めて、翌月の20日(指定日)に相手先の指定口座に振り込むのが「当月処理」。たとえば、11月1日に発生した経費なら、11月末日に請求書を受け取り、12月20日に指定口座に振り込む。「次月度処理」とはイベント実施月の二ヵ月後、この場合は1月20日にお金が振り込まれるということ。自社のパートナーNPOにとって、これが厳しいことは容易に予測できる。今回はしかたなく上司に相談し、特別処理として12月中に振り込むことにした。「この案件、準備費用として半額を前払いしたヤツだろう。資金繰りが苦しいんじゃなかったのか?」とチクリ。担当者は必死に弁解するハメになった。

【 未来予想図は、ほら、思った通りに?! 】

経費について、きっちり行わなければならないのは支払い処理だけではない。どの月度でどれだけの経費を使うかという「予測」も重要だ。企業によっては、月に複数回、当月の発生経費額の予測と、通年の予測額を経理部に提出し、予測と実績のズレが大きい場合には、理由を報告しなければならない。なぜそこまでする必要があるのだろうか。
それは、経費の使用状況が、企業の業績予測と密接に関係しているからにほかならない。特に昨今、上場企業は四半期決算(3ヶ月ごとに企業の業績を開示すること)が義務化されたことから、従来よりも短いスパンで経営状況を投資家から判断される。決算発表では、この三ヶ月間でいくら売り上げて、いくら利益が上がったか、半年後、一年後の見通しはどうかなどの情報が開示される。このための数値を取りまとめているのが経理担当の部門。経理には全社の各部門から売上げや経費の情報が日々集められ、月度ごとに細かく分析されている。経営者はそれをチェックし、今後の経営の動向を見極める。見通しが悪ければ、単月単位での経費の見直しや発生月の変更指令が出され、会社全体としての収支が調整される。こうして、売上、利益など詳細な項目ごとに、目指す決算数値(目標)と実績を近づけていく作業が、企業内では日夜繰り返されている。

【 あの金を ズラすのはどなた? 】

「たかが小額協賛、売上額からすれば微々たるもの」とのご意見もあろうが、そうではない。営利企業の場合、協賛金支出の原資となるのは、売上から生じる利益。ごくごく簡略化して説明すれば、たとえば経常利益率が5%の企業の場合、10万円の協賛金を捻出するためには、その20倍の200万円を売上げなければならないことになる。これを小額と言うかは企業規模にもよるが、営業担当者個人にしてみれば、月度成績を左右する金額ではなかろうか。つまり、“たかが”10万円の経費の発生月がズレるということは、200万円“もの”売上金の発生月がズレることに等しい。こんなことを無計画に各部署でやられては、とても正確な収支見通しなど立たない。厳しく予算を管理する理由が、ご理解いただけるだろうか。
加えて、これに「決算」という概念が絡むと、さらに始末が悪くなる。特に本決算は企業にとっての大きな区切り、今期と次期の収支は連続しない。つまり、支払いが本決算をまたいで遅延すると、今期には「実施はあるが支払いのない案件⇒サービス業務の強要?!」が、来期には「実施は無いが支払いだけある案件⇒不当な利益供与?!」が存在することになる。要らぬ濡れ衣を着せられる可能性など、最初から無くしておきたいものだ。

【 相談しよう、そうしよう 】

一方から見て些細に見える出来事でも、一方にとって重大な意味を持つことも多い。企業もNPOも、相手に感じる「なぜ?」の理由を、知る努力を怠ってはいないだろうか。「ある時払い」も「余裕が無いから、先に欲しい」もNPOにとって日々刻々と変る現実。一方、臨機応変ではなく「計画的にキッチリ予算執行したい」は企業の理屈。双方にとって真っ当な事情なら、双方に納得性のある落としどころを“事前に相談”して決めるしかない。そして、止まれぬ事情により約束が履行できそうにないなら、これまた事前に相談しさえすれば多くの場合は事なきを得る。ナマモノを扱う現場である以上、計画通りに行かなくても不思議ではないことは、企業だって理解している。それだけに、片方の都合での勝手な解釈や、ケアレスミスによる処理の遅れは、信頼関係にヒビを入れるから要注意。つまり、自分勝手やウッカリは“ゲンキン”。今回は支払いの話題だけに、このようなオチで勘弁していただきたい。

2009年11月1日日曜日

スポンサーとパートナー 後編

【 企業担当者、現場に現る 】

 「みなさん、おはようございます。私が、責任者の○○社の○○です。この企画は、○○○という主旨で実施しますので、よろしくお願いします。」私の所信表明のあと、その場にいる全員の名前と役割りを紹介する。アーティストも当日ボランティアも等しく。これは、自社が主催する企画で、現場仕事を始めるまえの儀式。外部スタッフに言わせて見れば「こんな現場は、珍しい」のだそうだ。もちろん、規模がそれほど大きく無いから出来ることでもあるが、これには、前稿のスーツ事件依頼、私なりの主催者像について試行錯誤を重ねてきたこだわりがある。

 バブル崩壊後、冠協賛的だった企業メセナも変わった。ひらたく言えば、「資金は出すが口は出さない」から「資金も口も出す」へと、企業の関わり方が変化した。察するに変化の過程で、企業とNPOの関係性について、教科書的ではなく現場レベルでの議論が十分なされていなかったように感じる。そのことが、前稿にあげた関係性のひずみ、「パートナー的スポンサー」の問題を噴出させたように思えてならない。

【 特攻野朗 えぇチーム 】

 両者は、「社会的意義に基づいた対等の協働」であり、便宜上、主催者を企業が勤めているに過ぎないのだと理解しようと思った。だとしたら、「まかせきりで、現場の事情もわからぬのに口だけ出す」のは自分の性に合わなかった。どうせ口出しするなら中途半端ではなく、現場のど真ん中で手も足も出しながら「主催者」という“役割り”をまっとうしようと思った。そう、「主催者」とは単なる「役割り」なのだと。パートナーシップにおいて、NPOも、アーティストも、技術スタッフも、学生ボランティアも、それぞれが自身のスキルや感性を活かして、ひとつの目的に向かって取り組むチーム。それは企画を適切に運営するための役割り分担であり、上下関係であってはならないと思っている。

 では主催者が現場で果たすべき役割りとは何か。私はこれを「責任者としての行動」だと理解している。責任者とは、自ら企画の方向性を示し、描いた通りに現場が滞りなく進行するように先回りして諸問題を解決し、失敗の責任をとるべき役割りだ。だからこそ、必要な人材を任免し、役割りを委託する権限を持つことができる。一方で自社内だけで、必要なスキルを揃えることは困難。そのために、スペシャリストや同じ志を持つNPOと協働する。長い思考スパイラルを経て、私の思考はずいぶんシンプルになっていた。
 だからこそ、企画の方向性を決定するまでは、徹底的にパートナーと議論した。NPOは企業の担当者と面と向かって喧嘩できねばならない。それを権威や企業の都合だけで押さえ付けるのではなく、真正面から受けて立つ気概を企業担当者は持たねばならない。ある式典の席上、私は自社のパートナーNPOの代表者を指し、「○○さんは、私に平気で喧嘩を売ります」と紹介した。会場からは笑いが起こったが、そんな関係こそ協働の真髄ではないかと、内心誇らしく思っていたものだ。

【 餅は餅屋、カモメはカモメ 】

 現場運営のスキルにおいて、責任者が、全ての役割りの詳細を把握することは難しい。そもそも、その道のスペシャリスト達相手に、私がとやかく言えるワケもない。また、素人が犯してはならない領分があるとも思っている。それに、スキルを気にするあまり大胆な企画を出せなくなるとしたら、本末転倒だ。なので私は、スペシャリスト達を遠慮なく頼るようにしている。「こんなコトがしたいんです。やり方はお任せします」。それを逸脱する場合だけ、相談して対応することにしている。もちろん、役割間をまたがるトラブルの場合、解決できるのは責任者をおいて他に居ない。重要なのはやり方そのものではなく、各パートの目指すべき方向性を一致させること。方向性に合致するかのジャッジこそが責任者の役割りだ。それに、お任せすればたいていの場合、私の想像を超えたリアクションが得られる。まさに、嬉しい誤算というべきものだ。
 そして、それぞれの役割りは全員に周知する。誰が責任者で、誰が何を担うのか。冒頭の儀式はこのためのもの。そうすることで、トラブル時の駆け込み先を明確にし、コミュニケーションしやすい環境を作ろうと思った。

 コミュニケーションに関して言えば、やはり人間同士、普段から接していることが一番。責任者=雲上人だと思われていたら、誰も素直に相談なんかしないだろう。その意味でも現場に頻繁に顔を出し、時にはバカ話も交えながら、スタッフひとりひとりとコミュニケーションするように勤めている。私が現場に違和感なく居るようになってからは、各位がプロジェクトを指していう表現が以前と変わった。それまで「○○さん(アーティスト名)のダンスプロジェクトで・・・」と企画の中身に評した置いた表現だったのが、「○○社さんとのプロジェクトで・・・」と企業との関わりを自然に表現してもらえるようになった。自社の存在が必然性をもって受け入れられた、証拠だと思った。

【 too Far away 】

 そうして迎えた本番、責任者としての役割りがまっとうできれば、本番においてはお客さまをお迎えすること以外には、責任者とは特に何もすることが無いものだ。「本番が一番楽」なときは、うまく現場を進められたとホッとする。そして私は、本番では人一倍楽しむことにしている。面白いコトは面白いといい、それを自分で面白がってやってみる。もちろん私の場合は意図的ではなく自然とそうなるのだが、それは、言葉で評価する何倍も、現場に勢いをつけると思っている。

 以上、自分なりの方法論を確立するまでに、随分と長い時間を要した。もちろん、これが必ずしも正解だとは思っていない。また、このほかに企業メセナにおいて重視すべき要素はいくらでもあるが、それは稿を改めることにする。
 それに、本番が一番楽だったことなんて、片手で数えられるほどしかない。あいかわらず目指す社会的課題の実現は遠く、かくも主催者は過酷なものかと痛感する。それでも、タッグを組めるパートナーと、無茶な要求にエイやっと応えてくれるスペシャリスト達のおかげで、なんとかここまで走ってこれた。責任者とは、感謝の気持ちを持たなければやっていけない役割りだと実感する毎日だ。

 かくして私は、今も本番中に、会場の一番後ろでじっと立って見ている。相変わらず“無難なゴルフファッション”とは一線を画すイケてるファッション(のつもり)を身に纏い。十数年前と同じく何も作業はしないが、顔つきと居心地は随分とやわらかくなった気がする。

2009年10月1日木曜日

スポンサーとパートナー 前編

 今回のコラムは、珍しく独白。そろそろ書くネタに困ってきたこともあり、たまには自分のやってきたことを振返って見るのもアリかと思いたった。したがって、本稿の主語は「私」。あくまで現時点での個人的見解であることをご理解のうえ、よろしければお付き合いください。

【 主催者は見た、見られていた 】

 「スーツ姿の人が会場の後ろで立ってじっと見ていて、怖かった」自社主催のとあるアートワークショップ。来場者アンケートに、実際に書いてあった一言だ。「スーツ姿の人」とは、駆け出しの頃の私。もう十五年近く前のことだろうか。主催者たるもの本番には足を運んで当然。仕事なんだからやはりスーツ姿で行かねばならぬ。座席はお客さまのもの、お迎えする側は座るべからず、などなど。すべて、主催者としての心がまえを自分なりに実践したつもり。もちろん、あまり馴染みがなかった芸術分野、何が起こっているかもわからぬままに、後で上司に報告するために食い入るように舞台を見つめていたのだろう。また、司会者による「このイベントは、○○株式会社により・・・」という主催者紹介が無いことにも困惑していた。そんなこんなで出来上がったシカメ面。せめて顔つきだけでも柔和であればよかったのだろうが、それは生まれつきと開き直る。それでも、このアンケート結果には少なからず動揺したことを覚えている。次回からはスーツはやめよう。そうは言っても、ジーンズファッションが私の普段着。とりあえず、ラフとオフィシャルの中間くらいの落としどころ、かつ、“無難なゴルフファッション”と一線を画すイケてるスタイルをめざし、ファッションモールを彷徨ったものだ。

【 Who’s BAD?! 】

 主催者と言えど、この頃の私の関わり方は、「スポンサー的関係」であったように思う。つまり、資金を出す企業の担当者として、本番を視察しているに過ぎない状態であった。準備段階には何も関わっておらず、企画書の内容が実際にはどのようなプロセスで実現されたのかは、本番を見て理解するしかなかった。また、人的交流も十分ではなかった。もちろん、「面識はある」程度の関与者は何人か居たが、現場の多くのスタッフからしてみれば、「あの人誰?」というのが正直なところだろう。そんな人物が眉間にしわを寄せながら、誰と交流するわけでもなく突っ立っていれば、アンケートに書かれたような評価は当然。しかも、一度動きはじめてしまえば、幸か不幸か主催者が誰であるかなど気にしなくても現場は運営していける。スタッフが、主催者紹介にまで気が回らないのも無理の無いことだった。
問題なのはスーツ姿そのものではなく、主催者としての関わり方が不十分だったのだと気がついた。この頃から「主催者的って何だ?!」について、ぐるぐると考えるようになった。その後、「アートにおけるパートナーシップ」という考え方が社会的に言われ始め、耳障りの良い言葉に、企業がこぞって飛びついた。私の興味もそちらへ移っていったが、一方で従来のスポンサーとパートナーとの違いについて、これまたぐるぐると考えるようになった。「パートナーといえども、資金は企業が出している。そのことによる優位性が存在するのに、対等な関係など成立するのか?」と。

【 金の切れ目≠縁の切れ目 】

 企業とNPOとの関係性において、やはり重要な要素となるのが、資金のやりとりだ。広告業界を例にとって見てみれば、資金の拠出者であるスポンサーは、全ての関与者の中で上位の立場であると認識されることが多い。語弊のある言い方だが、「金を出してるものが強い」。制作過程で意見が食い違った場合、よほどのコトがない限りはスポンサーの利益が優先される。販売促進であれ企業イメージの訴求であれ、資金を出す以上は出すなりの意図が企業にはある。その達成が最も優先されるべきことなのは、一般的な感覚として理解が得られるものだろう。言い換えれば「仕事を出している」のは、スポンサー側だということ。もちろん、これを人的な上下関係と拡大解釈した「スポンサーの横暴」も散見されるが、それについてはここでは割愛することにする。

 一方でパートナーとは、対等に結びき共に使命を果たす関係性であり、上下関係を規定されるべきものではない。前段と表現を合わせれば、「共に仕事をしている」仲間だということだ。しかし、「支援」「協賛」の名の下に、企業からNPOに対する資金の流れが存在しているだけに、実際には上下関係が成立する余地が残っている。これに起因して、企業側がNPOを「人件費の安い製作会社」だと誤認し、パートナーの名のもとに企画を丸投げしておきながら優位なスポンサー的扱いを望むのだとしたら、それはとんでもない間違いだ。逆に、NPOにとって企業は、都合の良い時に資金援助をしてくれる「お財布」であってもならない。両者の関係を、「資金」というモノサシで規定することで、関係性は歪む。社会的に聞こえの良い言葉の裏側で、両者が日々感じる矛盾は、確実に存在している。

【 社会に課題がある限り 】

 両者の関係を考えるとき、企業の社会貢献とは何かという議論に立ち戻る。社会貢献とは、社会課題の解決に対しての自発的な取り組みであり、「支援を求められたから応える」という受身の姿勢を前提とするものではないはずだ。一方でNPOとは、市民の社会的問題意識に基づいて、自発的に行動を起こすムーブメント。それぞれに持てる資源(資金、スキル、ノウハウなど)が違い、かつ、それぞれの資源だけでは課題解決に十分な原資とならない。このとき双方が補いあって、同じ社会課題の解決のために協働してアクションを起こすこと、これこそがパートナーシップだと理解している。企業は、決してNPOの制作費を支援しているのではない。逆に、ノウハウや専門性を持たない企業にかわり、社会的投資の実務、資金の執行を代行しているのがNPOだと理解すべきだ。両者の関係性は、資金の流れによって決定されるのではなく、社会的意識の共有によってのみ決定されるべきもの。この考え方を完璧に双方が持つことにより、初めて上下関係を脱却した真の協働への道が開ける。それが出来てさえいれば、「ビジネスマナーがわかってない」「きっちりしていない」など、企業側が口にするNPOへの数々の不満は、本来は些細なことであるはずだ。“ソバカスなんて、気にしないわっ♪”と笑い飛ばすか、そうでないなら「理解すべきマナー」として情報共有すれば良いだけなのだから。

 こうして言い切ってみればごくあたり前、おそらくメセナの教科書にも書いてあるであろう基本中の基本だ。だが、研究者ではなく企業人である当時の私が、このことを実体験として感じ、自分の言葉として語れるようになるには、少なからず時間を要した。さんざん繰り返した自問は、問いそのものが間違い、「スポンサー的驕り」だったのだと。長い思考スパイラルからは脱却した私は、次はいよいよ、「主催者」として現場に入ることにした。主催者たるもの、一体何を為すべきなのか。そこでの試行錯誤については、次稿でご紹介することにする。

(次号は11月1日更新予定です)

2009年9月1日火曜日

Iモードと、マナーモード

【 はぁ〜 キッチリ♪キッチリ♪キッチりなっ♪ 】

 企業に支援を求める際、直接会って熱意を伝える重要性は「ご依頼は計画的に」でもご紹介した。加えて、企業にとって直接NPOと会わねばならない理由は、実はもうひとつある。企画の内容ならば、企画書を読めば判る。直接会って確かめたいのは企画書に現れない要素、曖昧な表現だが「相手団体が、キッチリしているか」ということを、企業は案外気にしているものだ。「心外な!」とお叱りを受けそうだが、そもそも企業人とNPOではキッチリのポイントが違う。しかも、NPO本来の活動に関することではなく、些細な周辺状況を指していることが多いだけに、厄介だ。
 通常の企業活動をしている限り、アートNPOと接する機会など無いに等しい。メセナ未実施企業にとって、イキナリ支援を訴えてきた見ず知らずの団体に対して、多少なりとも不安を抱くことも無理のないことだろう。不安は積極的な判断を鈍らせ、本来なら可能なはずの協働への道を閉ざす。せっかく得た面談の機会に不安感を払拭できれば良いが、「やっぱりね」とさらに印象を悪化させてしまうような立ち居振る舞いは避けなくてはならない。そうならないためのネタバラシ。本稿では、企業が言う「キッチリ」について解説したいと思う。

【 企業訪問は、“マナー”モードで 】

 悪印象の代表例は「ビジネスマナーがなってない」というもの。ビジネスでは無いのだからそんなもの必要ないともいえるが、これを、「企業人同士が接するときのマナー」と言い換えると、合点がいくだろうか。企業人同士のコミュニケーションには、共通のマナーが存在する。「上座はどこか」「名刺は相手より下から出す」という基本に始まり、エレベーターの乗り方ひとつをとってみても、標準と違う立ち居振る舞いに対しては「なってない」とされてしまう。せめて初歩のビジネスマナー本程度は読んでおきたいところだ。
 また、服装も大切なポイントだ。企業訪問の際、「メタボリックにご用心」で書いたような、個性的な格好は避けたほうが無難。かといってビジネススーツに身を固める必要ないが、せめて襟付きのシャツか、ジャケットを羽織るくらいの気遣いは求めたい。メセナ担当者本人から、服装についてとやかく言われることはおそらく無いだろう。しかし、企業内には、他の社員だってたくさんいる。「あの派手な服装の人は誰だ?仕事中に何の話をしてるんだ?」と怪訝に見られ、あとで要らぬ詮索をされるのはメセナ担当者の方。服装に譲れないポリシーがあるならやむをえないが、「つなぎ手」としてのアートマネージャーの職務にあるときは、パートナーに要らぬ気遣いをさせない配慮をして損はない。

【 あれもI、これもI、それもI、きっと愛 】

 立ち居振る舞い以外にも、自団体を紹介するための「PRツール」も重要だ。これらはひとたび相手先に渡れば、関与者間で回覧され自身に代わって自団体を語る資料となる。担当者との面談を乗り切るためのモノではない。企業に残していく「私(=I)の分身」だと思って、愛情をもってキッチリと制作して欲しい。
 まずは名刺。ビジネスでは受付に名刺を差し出した上で名乗るのが流儀。そうすれば、受付担当は、企業名や氏名を間違えることなく呼び出す相手に伝えることができる。この名刺ひとつをとってみても、アート関係には特徴的なものが少なくない。「名刺の字が小さく、名前が見つけにくい」「形状が普通と違い、名刺ホルダーで整理しにくい」「肩書きや所属がたくさん書いてありすぎて、ドコに連絡していいか迷う」などなど、思い当たるフシは無いだろうか。対して、わかり難い名刺はNGの企業側。「ワタクシ、こーいうもんです」と、ぱっと見せるだけで自己紹介できる体裁が求められる。自分の名刺が企業の常識と違うと思うなら、せめて口頭で補足情報を伝えるなど、相手への気遣いを示しておくほう良いだろう。
 次に、「団体概要書」。実際にはA4用紙にプリントアウトした資料の場合が多く、「そんなものありません」という団体も少なくない。しかし、これが「キッチリしている」だけで、団体の信頼度は格段に向上するものだ。「企業案内冊子は、企業の顔です」とは印刷会社の宣伝コピーだが、これは間違いではない。「飛び込み営業では、ちゃんとした企業案内冊子が無いと信用してもらえない」「プリントアウト資料では捨てられるが、キレイな冊子なら捨てにくい」とは、某社営業担当者の言。豪華なものは必要ない、ページ数がたとえ少なくても、やはりきちんとした印刷冊子を揃えておきたいものだ。同時に、団体のウェブサイトも重要だ。昨今は、何を調べるにもまずインターネット。電話で企業にコンタクトをとった場合など、即座にネットで団体名を検索しチェックされると思ったほうが良い。また、企業内の連絡事項も、電子メールにURLを貼り付けて情報共有するのが通例。ウェブサイトはこうした情報回覧において、団体概要書と同じ役割りを果たす。私的ブログではなく公式サイトとしての体裁を為しているか、必要な事項がきちんと記載されているか、頻繁に更新されているかなどが運営体制の確実さを感じる目安となる。ウェブサイトを軽視せず、ある程度気合を入れて管理していただきたい。

【 頼りなく二つ並んだ、ふぞろいなツールが 】

 どの案件でも共通して使う名刺や団体概要書に加えて、案件ごとの「個別PRツール」への気配りも重要だ。例えば、個別の企画書やプレゼン資料。最近は「PowerPoint*」などのプレゼンソフトを使用する場合が多いが、自団専用のテンプレートを作成している団体は少ない。ビジュアルに優れた資料は人間心理として納得性が増すものだが、プレゼンのたびにイチからデザインしていたのでは時間が足りない。そこで、あらかじめデザインしたテンプレートを作成しておき、それにテキストを打ちこんで仕上げる方法がオススメだ。時間が節約できるだけでなく、ビジュアル的な印象も向上する。特に予算がかかるワケではないので、ぜひ、実践していただきたい。
 これらのツールの活用において最も大切なことは、それぞれのツールにおいて、「同じ団体のものである」ということがデザイン的に訴求できているかどうかだ。個別のデザインがいかに素晴らしくても、それが不ぞろいでは効果が薄い。団体のシンボルマークやアイキャッチを統一して使っているか、シンボルカラーが印象的に使われているかなど、デザインをある程度統一し、同じイメージを訴え続けることを考慮して欲しい。同じイメージに複数回接すれば、刷り込み効果はおのずと高くなる。印象に残ることは、なにかと有利。別の機会に資料を目にした際、「これ、知ってる」という既知感は安心感につながる。加えて、こうしたものに統一感があることは、代表者の目が細部にまで行き届いている証。「キッチリ感」は格段に増すはずだ。

【 “I”と“マナー”のバランスを 】

 冒頭でも述べたが、本稿でご紹介したのは、いずれも企業とNPOとの協働において本質ではない些細なことだ。だからこそ、企業側もあまりおおっぴらには言わず、NPO側もそこまで気にしなかったということだろう。しかし、こうした些細な常識や流儀のズレが、本質論にたどり着く前の障害となりえるもの事実。それでなくても違う点が多い両者、コミュニケーションのハードルが初めから高いのだから、せめて余計なハードルはできるだけ下げて面談に望みたいものだ。
 「私のスタイル」を堅持することは大切だが、一方で相手に合わせるマナーも必要。うまくバランスをとって、自分なりの企業訪問スタイルをぜひ確立して欲しい。すべては本来不要の詮索を企業にさせず、本質を熱意をもって訴えるため。「くだらないこと」と一蹴せず、ある程度キッチリとしておくことも、企業訪問の心得なのだから。

*PowerPointは、Microsoft社の登録商標です。



























KADのH.P. 団体概要書、提案書、名刺。
同じテイストでデザインされている。

2009年8月1日土曜日

ご依頼は計画的に

【 支援要請は突然に 】

「今日中にお返事下さい。こちらも切羽詰っておりまして・・・」即日融資の申し込みではない。声の主は、協賛を依頼するNPO。しかも、初めて電話を受けた日の出来事だ。心境は察するに余りあるが、さすがに「どストレート」なご依頼に面食らう。いつもなら「これは、フィクションである」と続けるところだが、今回は正直に「実話です」といってしまおう。双方の名誉のために付け加えるが、該当団体には後日当社までご足労いただき、「企業への協賛依頼のノウハウ」についてキッチリとお伝え(!?)させていただいた。以後、その企業のパートナーNPOとして、小さいながらも協働プロジェクトを持つに至っている。

メセナ実施企業として認知されてくると、このような「支援要請」がしばしば舞い込んでくる。多くは「恋せよ!アートマネージャー」にも書いたような「量産型の企画書」が送付されてくるケース。もちろん、これでも通用する場合は多い。年間の予算枠にしたがって、寄せられる企画の中から支援先を選択する方針の企業・団体に対しては、企画内容さえしっかりしていれば十分議論のテーブルに載ることができる。ただ、少なくとも提出の仕方と時期には注意を払う必要がある。いきなり送りつけるのはNG、電話であらかじめ担当者とコミュニケーションをとる配慮は必須だ。企画書提出の締め切りや書式がある場合は、それに準じる。そうでなくても、次年度予算を決める時期、たとえば3月決算の企業であれば年明けまでには、「来年はヨロシク」と企業担当者とすり合わせをしておくべきだ。即日支援などあり得ないと思って間違いない。
一方で、例えばメセナ未実施を卒業したばかりの企業、多くの場合メセナの専任部署もなく、あらかじめ決められた予算枠も設定されていない企業に対しては、量産型企画書の効力は薄い。しかし、こうした企業の攻略こそが、協働事例拡大への道。NPOの方々に奮起していただくためにも、お馴染みのフィクションを交えて、もう少し詳しく解説したいと思う。主人公は、すっかりお馴染みの中堅企業の社会貢献・メセナ担当者(兼任)だ。

【 めぐるめぐるよ、出会いと別れを繰り返し 】

「申し訳ありませんが、今回のご支援は難しいですね。まずは、貴団体のご活動を当社も勉強させて頂いたうえで、もう少し長い目でお付き合いを考えたいのですが・・・」これまでお付き合いがなかったNPOから、協賛依頼の企画書を受け取った企業メセナ担当者。後日、かかってきたNPO代表者との電話のやりとりだ。返答1)「そうですか・・・では、また何かありましたら・・・」残念な様子で電話を切ろうとする代表者。日本語とは便利なもので、ほぼこの言葉は「ハイ、それまでョ」の意味で使われている。経験上「また何か」があることは極めて稀だ。筆者の場合、できるだけ「団体資料や、イベントチラシがあれば送って欲しい」とお願いするようにしているが、それでもすぐに資料を送っていただける事例は2~3割といったところか。幾度となく繰り返される、まことに残念なファーストコンタクトである。
その企業とのパートナーシップを望むなら、ぜひこう食い下がっていただきたい。返答2)「では、今後もお付き合いさせていただきたく思いますので、ご挨拶にだけでもお伺いします」一度顔さえ合わせてしまえば、次回からの支援要請のハードルが、ぐっと下がる。企業内に、直接の顔見知りができることは、大きなメリットだ。もし、これでも門前払いをされるようなら、その企業担当者とはご縁が少ないと思ったほうが良い。熱意の無い担当者とは、今後予想される様々な協働のための困難を、共に潜り抜けることなんて出来そうもない。それに、企業として新しい出会いに対する門戸は、常に開いておくべきだ。

【 きっとそうなんだ、御社だったんだ 】

後日、企業の商談スペース。スタッフを引き連れやってきたNPO代表者から、企画についてのプレゼンを受ける企業担当者。何かがもの足りなく感じ、こう切り出した。
「ところで、なぜ弊社を支援先に選んでいただいたのですか?」「えっ・・・」予期せぬ質問にフリーズする代表者。企画の趣旨を説明し終えた段階で、「支援の必要性を訴えられた」と思い込んでいた様子だ。もちろん、企画の社会的必要性は理解できている。我ながら意地悪な質問だと思うが、プレゼンに足りないのは、A社でもなく、B社でもなく、「当社が」支援するべき理由なのだ。しばしの沈黙の後、大抵の返答は「御社は社会貢献に積極的」「企画の舞台が地元」、「イメージアップになる」に集約される。これでは、同じ地方のメセナ実施企業は、ほぼ当てはまることになる。つまり、その企画にとって当社は、数ある支援企業の選択肢の中の一つ。逆もまた真なり、企業にとってその企画は、企画Aでも企画Bでも良い、数ある選択肢の中の一つにしかなりえないのだ。「当社」と「企画」がリンクする必然性が見当たらない。これでは、強く訴えるプレゼンにはならない。
実際には、まず企画が先に存在し、その支援先を探したところ当社に行き着いた、というのが本音だろう。だとしても、強いプレゼンにするために、そこからもうひと手間をかけることを惜しんではいけない。「手間」とはつまり、相手企業をどれだけ研究してプレゼンに望むか。では、具体的にはどうすれば良いのか。まずは、狙いをつけた企業のウェブサイトやCSRレポートを読み込んで、社会貢献やメセナの傾向を把握する。そうすれば、その企業との「相性」が見えてくる。相性とは、支援のジャンルや方針が企画と近いかどうか、また、未着手のジャンルであっても企業の本業との関連性が深いかどうかなどだ。相性が良さそうな企業が見つかれば、できるだけ相手側の「要素」を引き合いに出しつつ、支援の必要性を訴えるのがコツだ。「御社の持つ○○が、この企画には必要なんです」「御社の○○という方針を、さらに推進する企画です」理論の正否はこの際問題ではなく“こじつけ”でも十分。肝心なのは「下手な鉄砲」を打っているのではなく、企業研究をじっくりした上で「御社がベストパートナー!」だと信じて提案しているのだという「熱意」を感じさせることだ。それができれば、たとえその企画では支援を得られなくとも、今後の協働候補として、好意的なお付き合いが続けられるはずだ。

【 熱意をもって、じっくりと 】

「初めて訪問した企業で、事前に読み込んでボロボロになった相手企業のCSR冊子をテーブルに出したとたん、すごく親切にお話してくれるようになりました」とは、某NPO理事長の経験談。ここまで勉強してきたのかと、企業担当者はさぞ嬉しかったことだろう。こんなことだけで、相手の印象は好転するものだ。
パートナー探しは、恋愛に似ている。クリスマス前夜、2席予約済のレストランに連れていく相手を求め、手当たり次第の初対面に告白するような手法では、上手くいかないばかりか人格を疑われかねない。せめて来年のクリスマスに向け、じっくりお友達から初めてみてはどうだろうか。企業も人の集合体。「他の誰でもない、アナタとお付き合いしたいんです!」と訴えられて、心が動かないわけがない。もちろん、諸事情で「ゴメンナサイ」の場合もあるが、これもまた恋愛と同じ。相手を恨まず、口説くための次の一手を考えて欲しい。

2009年7月20日月曜日

違いを楽しむ人のパートナーシップ

【 三年目の◎◎◎ぐらい、大目にみてよ 】

 これは、実体験に基づいたフィクションである。主人公は、企業の社会貢献担当者(兼任)。現任部署で3年目。はじめてメセナを実施してから、年に数回、アートイベントとのお付き合いを続けている。業界団体の会合にも顔を出した。顔見知りも増えてきた。「ウチなんて、まだまだですよぉ」と謙遜しながらも、なんとなくメセナのことがわかってきた。それだけに、企業とアートの現場の微妙なズレが、最近気になりだしている。何かが決定的に悪いわけでもないが、なんだかギクシャクする。そんな感じだ。

【 待ちぼうけ、主せっせと別現場 】

 「報告書、まだですかあ?」パートナーNPOへの留守番電話。残念ながら、この催促が毎度のお約束になっている。報告の重要性は「愛せよ!アートマネージャー」でも触れた。相手も事情は理解しているようで、「申し訳ない!出来るだけ早くやります。。。。」と平謝りをしてくれるのだが、一向にカイゼンできそうな気配がない。自社が支援したイベントならば、企業担当者も顔を出して、自分の目で見て判断するのが筋。一方で悲しい兼任担当者、事業の重大案件と重なれば、泣く泣くそちらを優先すべき宿命を背負っている。「他の仕事が重なったので、協賛辞めます」とは行かないので、事情を知るには、報告書に頼るしかないのが現状だ。そうこうしているウチに、次の部内会議の日がやってきた。前夜、やっと電話でつかまえたNPO代表者から、内容をヒアリングして自分で書類にした担当者。すべて伝聞の内容だけに臨場感がない。「予算を使ってるんだから、結果報告ぐらいはしてもらうべきだろう。」と、ごもっともな上司の指導。肩身の狭い会議となった。「報告無し」は、組織ではご法度。情報は担当者だけのものではなく、複数いる社内の関与者すべてで共有し、必要があれば関連部署と「調整」すべきものだからだ。
 一方で、アートの現場も多忙を極める。次から次へと現場が重なる状況で、目前の対応を優先し、「終わったこと」が後回しになるのは、やむを得ないだろう。しかし、いかに多忙でも、A4一枚の書類ぐらい、テンプレートさえ決めておけば、“朝飯前”ならぬ“打ち上げ前”の仕事ではないか。そうならないのは、そもそも「報告書」の定義が、双方で違っているからだろう。報告書にも、いろんな形式がある。ここで企業がいう報告書とは、5W1Hと簡単な結果をまとめた「簡易レポート」。何が起こって、一体どうなったのか、要点が簡潔に伝われば良い。一方、NPOがいう報告書とは、レイアウトはバッチリ、写真満載、分析も含めて後の資料として残すべき資料、アートの現場で通称「ドキュメント」と呼ばれているものだ。「なんで簡易報告書ぐらい、すぐに出来ないの?」vs「ドキュメントなんて、そんなに簡単に作れない!」双方どちらも間違っていない。単に、議論の前提条件が食い違っているだけだ。

【 不安 ファン We hit the step!step! 】

 「え?!ご招待の人数増えたの?どんな立場の方?」自社主催のコンサート、開場直前に招待席の席数を確認していた企業担当者の手が止まった。今日は初めて、直属上司のそのまた上、部長クラスの上司が現場に顔を見せることになっている。「いや・・・○○さん(関係者)が“もう一人”連れてこられるとのことで、詳しいことは・・・」と、NPO代表者。「それじゃあ、困るんだけどなあ・・・」と不安げな担当者。現場の高いテンションもあってか、ひとしきり地団太を踏んだあと、担当者は事務所方向にすっとんで行った。座席なんてたくさんあるのに、一人増えたことをなぜそこまで気にするのか、NPO代表者にはわからなかった。

 企業の中にも、実はイベントに類する行事は数多くある。株主総会、会社見学会など、趣旨や目的は全く違うが、企業が主催する集客イベントであることは同じだ。運営するのは基本的に社員。来客は自社にとってのVIPばかりだけに、完璧な段取りと粗相のない対応が求められる。椅子が足りない、資料が足りない、コーヒーを出すタイミングを間違えた、そんなミスなど言語道断。来客は何人で、何時に何名来るのか、それによって関連部署はどう連携するのか、、、、予想した通りにコトが進んで及第点。ひとつ歯車が狂えばすべてが狂う。臨機応変な現場対応でその場をおさめたとしても、「事前準備が足りなかった」として反省会のネタになることは必至だ。複数組織が関わるイベント進行に関して、企業人のスキルは実は結構高い。では、こうした「常識」の中にいる企業人にとって、アートの現場はどう見えるのだろうか。
 アートの現場には、きっちりとした進行や運営を、敢えて持たない現場だってたくさんある。型にはめることを必ずしも良しとぜず、そこで起こる場の予測できない変化を期待する。この主旨からすれば、前述した企業の常識など優先順位は高くなくて当然。両者の違いは良い悪いの問題ではなく、その場で目指すべき方向性のすれ違いなのだ。この現状をもって、「段取りのスキルが低い!」と断じられれば、NPOにとってはたまったものではないだろう。
 冒頭の事例も、タネを明かせばすれ違いの産物だ。企業人にとって上位者のアテンドは、それなりに気を使うもの。“ほとんど顔見知り”のアートの現場であっても、自分の上司は異邦人。そのため、初対面でも双方にとって失礼のない対応ができるように、あらかじめ担当者は「ご来社リスト」を作成し、来場者それぞれの立場や取り組み内容について部長にレクチャーしていたのだ。「不明者」の出現を気にする担当者の気苦労を、ご理解いただけるだろうか。

【 手間を惜しまず、相互理解を 】

 企業とNPO、お互いの流儀が違うことは、説明されれば理解できる。それは「多様な価値観」というほど大げさなものでななく、溝を埋める努力はいくらでも出来ると思っている。報告書の事例で言えば、簡易版を先につくって提出し、あとからそれに付加情報をくわえてドキュメント化すれば良い。現場の事例で言えば、事前に関係者とのミーティングの場をもち、双方が現場に求めるものを事細かにすり合わせしておけば事足りる話だ。「コミュニケーション不足」と結論づけるのは簡単。しかし、それでは信頼できるパートナーにはなりえない。違いがあって当然の両者、その理由も含めて双方が違いを認識し、違いを埋める双方からの努力を惜しんではいけない。そして、その役を担い、結果を互いのホームグラウンドにフィードバックする役割を果たすのが、企業・アート双方の「アートマネージャー」ではないか。
 パートナー探しは恋愛に似ている。所詮は生まれも育ちも違う他人同士、「あばたもエクボ」の時期を過ぎれば、「アナタのそーいうところが前から気に食わなかったのよ!」と喧嘩もするだろう。そのたびに、きっちりと仲直りをしておくことをお勧めしたい。それもまた、協働の醍醐味で楽しいものではないか。大きなズレがあるなら、最初からご縁はない。些細なズレの積み重ねが、信頼関係にヒビを入れる可能性をお忘れなく。

2009年7月19日日曜日

メタボリックにご用心

*本稿は、2007年 (社)企業メセナ協議会発行「メセナセミナーシリーズ No.10」への寄稿文
「メセナ未実施企業の視点から 4」の転載です。

 
【 部屋とYシャツとアート 】

 これは、体験に基づいたフィクションである。ある平日の午後、受付からの内線電話が鳴る。「あのぅ・・・アート・ナントカの“代表の方”が、ご来社ですが。。。」どうやら、名前がうまく聞き取れなかったようだ。しかも、いただいた不規則な形状の名刺には、普通よりかなり小さい文字で一見すると日本人名だと理解できないような文言がかれているらしい。電話を切り、急いで受付に向かうメセナ担当者。今日は、ダンスカンパニーの練習場所として、自社の施設を提供することになっている。
 いつもの商談室、Yシャツにネクタイ姿で来客対応中の社員たち、その中に、明らかに企業人ではない服装、スーツに対する普段着という意味ではなく、普段着の中でもどちらかといえば“個性的”と表現される服装の方々がたたずんでいた。担当者を見つけ、「いやっほぅ♪」といわんばかりにハイテンションの代表者。“周りがヒくからテンション下げて。。”ともいえず、苦笑いの担当者。怪しい団体ではありません、と後で釈明を繰り返すも、次からは、せめて受付近辺の部署には根回ししておこうと心に決めた。アートの場に企業人がいることの違和感は前稿で書いた。今回担当者は、その逆の体験をすることとなった。

【 あのコが欲しい、あのコじゃわからん 】

 資金による支援ではなく、商品などのヒト・モノを提供する「非資金メセナ」は、近年注目が高まっている。中でも前述のように施設を活用する取り組みは、「空間支援」と呼ばれている。アート側も心得たもので、昨今、非資金の支援依頼が増えたように感じる。「どんなモノでも、余っているモノでも良いので提供して欲しい」こんな依頼をいただくことも多いが、そもそも企業内に、「正式に余っているモノ」なんてありえない。たしかに、メーカーともなれば、様々なモノが存在している。長期在庫や、開発過程の試作品、傷などで「性能には問題がないが、売り物にはならないモノ」たちである。しかし、これらとはいえ、「資産」として管理されている。捨てる場合は「廃棄処理」をするのであって、単にゴミ箱行きという意味ではない。そもそもメーカーにとって商品廃棄は断腸の思い。それをやむを得ず廃棄するわけだから、それなりの手続きが必要なことを、まずご理解いただきたい。資産廃棄の「稟議」を起こし、廃棄する商品を指定された廃棄場所に捨て、その証拠写真を撮り、○月○日廃棄完了という実施報告書を作成しなければならない。捨てるからといって黙って持ち帰った場合は、業務上横領という犯罪。たとえ廃棄を行うものでも、第三者に提供する場合は寄付行為となる。

 もうひとつの誤解は、「どんなモノでも良い」というリクエスト。例えば自社の場合、数百万円もする機材もあれば、数千円のお手軽キットもある。察するに「貸してもらえるなら贅沢はいわない」という遠慮の現れなのだろうが、これは、企業にとって本末転倒な申し出だ。商品を提供することは、直接的に企業イメージを訴える絶好の機会。高評価ならプラスイメージを得るが、例えばイベント規模に対して小さすぎる機材を提供したがために用途を満足せず不満が残れば、それはマイナスイメージとなる。自社の評判を落とし、自社も、主催者も、観客も誰も満足しない支援行為など言語道断。「支援する以上はそれなりのモノを」と担当者が考えるのは、アート側への好意もあるが、自社のブランドイメージを守る意味も大きい。

【 メタボリックな経費と労力 】

 非資金メセナいえど、実際には経費が発生している。製品貸出の場合であれば、貸出用品として販売用在庫からメセナ担当部門に物品を移管する処理が必要となる。組織は縦割り、たとえ同じ企業内でも、部門をまたいだ商品のやりとりはお金を払って他部門から商品を買うのが流儀。もちろん正価ではなく原価に近い金額を経費振替する手法だが、こういった「隠れ経費」は知らぬ間に蓄積していくものだ。加えて、企業全体で考えた場合、販売品が1個減り、非販売品が1個増えるわけだから資産的には「損失」。ここでも計算上経費を消化していることになる。また、輸送費、設置に技術スタッフを要するモノなら人件費、使用後のメンテナンス費用なども必要だ。
 空間支援の場合でも、光熱費などの経費は発生する。しかし、この場合は経費よりも、社内に“部外者”が入ることに対する抵抗感のほうが大きいだろう。セキュリティ上、メーカーや研究施設などの場合、社員ですらIDカードを携帯しないと社屋内をうろつけず、情報漏えいを防ぐためカメラ付携帯電話も持ち込めないほど、厳重な管理がなされている場合もある。アート関係者とはいえ、例外とはならない。また、事情を知らない社員から「不審者」として通報されては目も当てられず、そのために「今日は、こんな方々が来ます」と事前に関係者への告知が必要となる。加えて、音楽を使用する場合の近隣への配慮や、企業秘密に関する物品の事前撤去など、詳細をあげればきりがない。保守的な企業の場合、目新しいことを禁止する理由と難癖は後からいくらでもついてくる。そうならないための気配りのススメ。いわば「隠れ労力」というべきものだ。

【 企業資源を発掘せよ 】

 ネガティブな面ばかり強調したが、これはあくまで、企業攻略のために内情をお伝えしただけで、アート団体の方々には、ぜひ積極的に企業に非資金支援を求めていただきたいと思う。
メセナ活動を行う上で、他社との差別化は昨今の大きなテーマ。どの企業も「自社らしい活動」を模索している。自社の商品や施設の提供を通じて本業に近い支援活動を行うことは、それだけで他社に真似できない独自の活動となるだけでなく、より直接的な企業イメージを関与者に訴えかけることができる。また、空間支援の場合、活動を社員が見学するなどアートを実体験できるメリットがあり、活動の社内理解を促進する効果がある。
 メーカーでなくとも、どんな企業にも有意義な資源はあるものだ。たとえ、直接的にアートとイメージが遠くとも、アイデア次第で十分活用できる。ただ企業側が、自らの資源の価値に気づいていないだけだ。アート側は企業の資源を掘り起こし、積極的に活用する術を探して欲しい。そして、手ごわい相手を説き伏せて、目をつけたモノを手にして欲しい。それは、自らの活動にとってメリットがあるだけでなく、企業に「新しいメセナ活動」の可能性を気づかせることになるのだから。

愛せよ!アートマネージャー

*本稿は、2007年 (社)企業メセナ協議会発行「メセナセミナーシリーズ No.10」への寄稿文
「メセナ未実施企業の視点から 3」の転載です。


【 試練は続くよ社内でも 】

 これは、体験に基づいたフィクションである。しかも、かなり極端な例だと思っていただきたい。主人公は、中堅企業の広報部門に所属し、企業には社会貢献活動が必須!との思いを抱く担当者。個人的には、アート好き。といっても話題の美術展をデートの口実にする程度だ。支援要請に訪れたアート団体代表者との半年に及ぶ交流を経て、その団体が主催する展覧会に対して、なんとか小額の協賛を社内で勝ち取った。【協賛の目的と効果】。硬い文言で始まる稟議書を書き、課長、部長のハンコを得て、晴れてメセナ実施企業の仲間入りだ。いわゆる広告代理店系のイベントなら、おつきあいで協賛したことはある。ただし、アート団体との直接的な関係は初めて。経費名目は、寄付ではなく広告宣伝費。このほうが、拠出のハードルが低いからだ。
 本番一ヶ月前、チラシが郵送されてきた。自社名がきちんと記載されていることを確認し、早速上司に報告する。上司は、2ヶ月前に販売促進部門から異動してきた年配社員。いきなり気勢をそがれた。
「字も細かいし、意味がよくわからない。それに、どこに広告が載ってるんだ?」
たしかに、“インスタレーション(Installation)”の意味なんて、一般的には馴染みがない。わかりやすくタイトルを目立たせよ、というチラシの定番からも遠い。
「わ、、、私は好きです、こういうの。それにスポンサーじゃなくて、メ・セ・ナ、なんです」
しどろもどろの担当者。この業界について、独学で随分勉強はしてきた。しかし、部長席の前で立ったまま、理路整然と説明しきれるほどではない。
「では、一度見にいきましょう」
この切り替えしは適切。少なくとも、現場を体験すれば上司にもわかる“はず”だったのだから。

【 I'm a Alien in Art 】

「ぜひ見に来てください。お待ちしています」
 代表者にアポをとったつもりで、会場に出向いた上司と担当者。今日は、展覧会のオープニングだ。廃校を利用した会場、なかなかに味がある佇まいだ。受付には、学生らしき方が二人。広告代理店系のイベントならば、ここで営業担当者が出迎えてくれ、上司を“しかるべき人”の元へ丁重に案内してくれる。たとえ形式的であろうとも協賛のお礼を言われ、コンサートの場合なら、スポンサー招待席に案内してくれるはずだ。
「代表の○○さん、お願いします」
不安な担当者。
「準備で“ルーム××”にいると思います」
罪のない笑顔の受付。とりあえず場所を聞き、そこまで自力で行くことにした。
 道すがら、廊下のあちこちに作品が並ぶ。見たこともない造形物、上司がどう感じているかが気になる。案の定、説明を求められたが、担当者にも説明のしようがない。そこに、黒づくめの格好で、あわただしく走り回る代表者が現れた。救いの神!とばかりに声をかける。立ち止まり、上司と丁寧な挨拶を交わす代表者、少しほっとする担当者。しかし、彼はまた一瞬でいなくなった。結局再び言葉を交わしたのは、すべてが終わって帰途につくときだけだった。アートの現場とは、かくも多忙なものなのか。
 ルーム××に着くと、そこは人でごった返していた。年代、国籍、服装も様さまざま、ただし、スーツ姿の男性は、担当者と上司しか居ないようだ。自分たち以外は、どうやらほとんど顔見知りらしい。軽い疎外感を感じつつ、会場の隅に陣取り、紙コップのビールを口にした。ほどなく代表者がマイクを片手に挨拶を始める。少しはこちらを気にかけてもらえるかと思ったが、そうでもない。上司は口にこそ出さないが、“スポンサー様”との明らかな扱いの違いに困惑しているようだった。続いて始まるコンテンポラリーダンス。時折かしげられる上司の首が目の端に痛く、気になって集中できない担当者。。。
 そこは誰にでも開かれた場で、たしかに何も拒否はされなかった。しかし、担当者と上司にとって、お世辞にも居心地がよいと言える場ではなかったはずだ。自分たちは異邦人、そんな感覚を禁じえなかったのは、企業側の勉強不足も積極性の欠如もあったことと思う。では、アート側から招き入れる努力は十分だったのだろうか。

【 “終わり”は“始まり” 】

 支援企業に媚びる必要はまったくないし、そもそもメセナとスポンサーは違う。お互いの意思をもって結びついたパートナーとして、両者は対等なのだということを企業側は自覚すべきだ。かといって企業はアート関係者ではなく、意識や経験に格差があることも事実。何しろこちらは、この分野に関してはド素人なのだから。現場が多忙なのは理解するが、今回の事例でいえば、せめてスタッフの方に会場を案内してもらい、自分たちの活動を伝える努力をすることは不可能だったのか。せっかく現場に出向いても、立ち居振る舞いの仕方も、展示の内容も、誰がキーマンなのかもわからない。しかも、決裁権があるのは、担当者より明らかに理解度が低い上司。これでは、次回の支援要請のハードルを、自ら上げているようなものだ。
 日常に戻ったオフィス。担当者には、折に触れ開かれる部内会議で、活動を報告する義務がある。再び向き合う【協賛の目的と効果】。しかし、あまりにも情報が足りない。来場者は何人か、メディアには取り上げられた、つまり社会的評価はあったのか。そんな基本的な情報すら、すぐには入ってこない。アート関係者にぜひともお願いしたいことは、企画が終了すればできるだけ早く、何かしらの報告をして欲しいということだ。凝ったものは不要、ワープロ打ちA4一枚で十分。礼状を添える心遣いがあれば、なおすばらしい。それだけでどれほど担当者は助かり、上司に対して顔が立つことか。その報告書をもとに、担当者は判断材料を示さなくてはならない。その協賛に価値はあったのか、次回の協賛を“するべきか・しないべきか”。報告は完了の挨拶ではなく、次回の支援要請への第一歩。報告こそ、熱意を持って行っていただきたいと思う。2~3ヶ月もたった頃、展覧会の図録が送られてきた。資料としての価値は大きいが、必要とされるタイミングは逸していた。

【 持続可能な関係を 】

 企業とアート、住む世界も感覚もまったく違う相手同士、双方の事情をすべて満足することは難しい。しかし、ほんの少しの気遣いだけで、随分印象は違うはずだ。パートナー探しは恋愛に似ているが、一夜の恋であってはいけない。口説く課程の情熱を忘れ、釣った魚に餌をやらないような真似は、お互いにとって不幸なことだ。“運命の出会い”なんて稀なこと。良い関係は、双方の努力によって徐々に築かれていくものだ。「あなた(御社)と一緒にいたい!」なら、すれ違いには、双方くれぐれもご用心を。

愛ある限り戦いましょう!

*本稿は、2007年 (社)企業メセナ協議会発行「メセナセミナーシリーズ No.10」への寄稿文
「メセナ未実施企業の視点から 2」の転載です。


【 覚悟のススメ 】

 「よし、上申するか。」決意したのは、中堅企業の広報部門に所属する若手社員。アート団体の支援要請をうけ、初めてアートプロジェクトへの支援を決意した。企画書は何度も読み返し、自分なりには理解したつもりだ。しかし、どうやって「支援の必要性」を上司に伝えるべきか。「この企画は芸術的クオリティが高いからオススメです」。残念ながらそんな理由で予算が使えるほど、メセナ未実施企業は甘くない。まず支援することが前提であれば、クオリティは判断基準になりえる。しかし、未実施企業にとっては、まず「メセナをするか・しないか」が最初のハードルになる。メセナは「社会にとって必要」でも、それが「今、自社がやる」べき根拠ではない。広告を出さなければ売上が落ちる。環境に配慮しなければ、社会的にも法的にも罰せられる。しかし、社会貢献やメセナをしないことで、企業が直接的に罰せられることは未だありえない。強制力がないとなかなか前に進まないのも、また大勢。上申とは、このような現状にある未実施企業の担当者が、予算を勝ち取るまでの厳しき戦いなのだ。
 メセナ実施企業であれば、一定の予算を計画的に確保している。しかし、未実施企業の場合は、計画外の予算となり、「稟議(リンギ)」とう手続きが必要になる。稟議とは、「私は、以下の理由と目的で、いくらの予算を使いたい。ご承認ください。」という公式の「お伺い書」。金額や内容に応じて承認すべき役職者が違い、役員や企業トップの稟議も当然存在する。承認否認に関わらず、こういったプロセスそのものが、「経営判断」として企業では記録に残され、監査の対象になっていることをご存知だろうか。万一、経営問題が指摘され株主代表訴訟が起こされた場合、経営者が不適切な案件に関して「適切に否認した」証拠にもなる。承認されれば「錦の御旗」、否認されれば・・・・。稟議を提出するのもそれなりに覚悟のいること。企業人にとって、決して「ダメモト」で行うべき行為ではないことを、まずご理解いただきたい。

【 リンリンリリンリンリンリ ♪ リンギ 】

 稟議書のテーマは、「協賛の目的と効果」。最初に、支援案件の5W1Hをまとめる。アート側からの企画書にはこの点が不明確なものや、逆にかなりの長文のものもあるが、それでは書類にならない。経営判断に必要な条項を、A4一~二枚程度にすっきりまとめるのが基本だ。日々膨大な書類が飛び交う企業内にあって、長文はまともに読んでもらえないと思うべきだ。
次に、担当者として案件を分析し、結果、「協賛の価値アリ」と論理的に説明する。まず、「社会性」「芸術性」について。一番重要なポイントにも関わらず、未実施企業は、判断根拠を自社内にまだ持たない場合がある。ならば、客観的事象から証明するしかない。よく用いられるのが報道記事。報道とは、市民の視点から価値判断された結果。その団体や企画についての報道があるということは、ある一定以上の社会的評価があることの裏づけとなる。加えて、他の協賛企業名。「あの大企業」の社名が並んでいるということは、たしかな目で「価値アリ」と判断された根拠となる。第二に、イベントの関与者が、自社にとってどういう位置付けの人物群なのか。自社の顧客層と合致すれば話は早いが、そうでなくてもなんとか自社や業界との関連を探す。次にチラシやポスターへの社名掲示などの企業名露出の度合い。加えて、入場券が提供してもらえるなら、福利厚生として社員に配布できる、などなど。。こうして、たった一通の企画書を、タテ・ヨコ・ナナメから眺め、あらゆる可能性を列挙した書類が完成する。結果として、「添付資料」として提出されるアート団体の企画書とは、似ても似つかぬ代物となる。
 最後に、支援金額を決める。お気遣いいただいてのことだと思うが、「ご無理のない範囲で。」と言われると困惑する。金額の正当な根拠を提示されれば納得性もあるが、出せるだけ出してくれ、では通らない。しかたなく今回は、自社の企業規模や他の資金の使い方から推測して、「まあ、こんなもんだろう」という金額を記入することにした。予算項目は、「広告宣伝費」。チラシなどへの社名露出を伴うことから、広告的な要素を含むと判断したからだ。

【 異文化コミュニケーション 】

 アート側から見れば、理解できない作業だろう。しかし、企業にとっては必要なプロセスだ。企業、とりわけメセナ未実施企業が必要とする価値と、アート側が提示する価値とは必ずしも同じではない。担当者の行為は、アート側が提示する価値を企業語に翻訳し、必要に応じて付加価値をつけて社内に再提示する作業だと言える。
 まさしくこれが、企業メセナ担当者、アートマネージャーが担うべき役割ではないか。両者は企業とアートの「接点」として、企業語・アート語二ヶ国語を操る翻訳力を駆使し、異なる価値観を結びつける努力を続けなければならない。企業とは、複数の人間の営みの集合体。加えて昨今、株主など企業を取り巻くステークホルダーの存在感が増していることもあり、企業に向けられる価値判断の目は、ますます多角化している。だからこそ、複数の関与者が理解できる言葉でアートの価値を提示する努力を続けるべきだ。
 加えて、リストラや経費節減、業績順調な企業であっても、なんらかの「痛み」を抱えている。メセナは景気に左右されず継続が重要、しかし痛みの当事者が、はたして同じ気持ちでいられるだろうか。納得は得られないまでも、当事者が理解できる価値を示す努力を怠ってはいないだろうか。

【 目指せ交際宣言 】

 出会って口説いてその気にさせて、パートナー探しは恋愛に似ているかもしれない。ただ、普通と違うのは、最初から企業という複雑な所属を背負った恋愛、いわば、家族ぐるみのお付き合いを強制されることだ。あなたの前に笑顔で現れるために、恋人が家庭内で行う努力は、かくも厳しき戦いだ。すぐに支援の可否が決められない事情もご理解いただけるだろう。それを「あの企業は理解がない」と切り捨てるのではなく、理解がない企業を変える努力を、担当者と手を取り合って続けて欲しいと思う。アートの力とは、それらを苦難を乗り越えてなお社会を変える力を持つべきものだと信じたい。であるからこそ、企業の事情を知った上で、臆せず、おごらず、自らの価値を堂々と主張すべきだ。「そんな交際、父さんは認めんからなっ!」と関係断絶を宣言されればアウト!なにせ、企業内の「父さん」に、企業人とは逆らえないものなのだから。

恋せよ!アートマネージャー

*本稿は、2007年 (社)企業メセナ協議会発行「メセナセミナーシリーズ No.10」への寄稿文
「メセナ未実施企業の視点から 1」の転載です。


【 不運なファーストコンタクト 】

 「○○株式会社 社会貢献部門御中」。宛名にこう書かれた郵便物がしばしば届く。お恥ずかしいが当社にはそのような専任部門は無く、兼任担当者(筆者)が1名のみ。かといって、全社員の所属と仕事内容を、郵便の仕分け担当者が暗記できる企業規模でもない。結果、各部署から「ウチじゃない」と拒否された郵便物が巡りめぐって私の手元に届くのは、投函されてからずいぶん経った頃になる。行き着く先がある郵便物はまだ幸せで、担当者すらいない企業では、多くは総務関連部署に集められ、他の数多の郵便物とともに“とりあえず”山積みにされる。すべてに目が通されるのは、一体いつになることか。
封を開けると、すばらしくデザインされたファイルが一通。宛名部分だけが空欄になっていて、社名が手書きで書き込んである。メセナ担当者ならばある程度内容は理解はできよう。しかし、そうでない場合は、聞きなれないカタカナ用語群に困惑し、趣旨を理解しえないまま“協賛”の文字に難色を示す。酷い場合は「何かの売り込みか」と一蹴され、再び山積みの中へ戻される。
 時を同じくして、代表電話が鳴る。「資料を郵送したのですが」と、緊張した声の送り主。どの部署に郵便が届いたか電話交換手が知るわけもなく、双方とも的を射ない会話の果てに、困惑のまま受話器を置く。。。
 お察しの通り、郵便物の中身はアート団体からの支援要請書や企画書。誠に申し訳ないことではあるが、このように郵送される企画書が、本来の役割を果たす以前の段階で挫折している現実がある。企業からの返事がない、とアート関係者からお叱りをいただくのは、しかるべき相手に届いてすらいないことも一因なのだ。不運なファーストコンタクトといわざるをえない。


【 企業いろいろ、支援もいろいろ 】

 芸術文化振興を企業の社会貢献ミッションとして明文化し、メセナ専任部署を持つ企業では、おそらくこんな心配はないだろう。このような企業が果たす役割に深い尊敬の念を抱く。社会にとって無くてはならない存在だと強く思う。かといって、すべての企業が同じことを実践できるわけではない。企業メセナにおいて、企業の特質を総論で語ることはできず、事業規模、業種、担当者の有無、経営者の理解、社風などさまざまな個別の事情が存在する。異なる事情には異なるアプローチが必要で、とりわけ、メセナ未実施企業に対しては困難を極める。郵便物の例でもわかるように、そもそも広く窓口を開いているわけではなく、情報を集める仕組みもないのだから。
 しかし今、未実施企業へのアプローチこそが必要だと痛感する。企業規模という概念を除けば、全企業中の割合では、メセナ実施企業よりも未実施企業のほうがはるかに数が多いはずだ。企業的な言い方をすれば、それはアート側にとっての未開拓市場に他ならない。メセナ実施企業の限られた支援枠を分け合うのではなく、枠そのものを開拓し市場を広げなければ、ダイナミックな活動拡大は難しいのではないか。


【 潜在的パートナーを探せ 】

 企業メセナ活動においては、それぞれが自社の理念に基づき、ほんの少しでも“自社のできること”を実施することが重要だと思っている。100社には100通りのメセナがあり、実施規模や予算額の大小を問わず、それぞれに意義のあるものだ。しかし、メセナをするか・しないかでは、両者の隔たりを感じずにはいられない。メセナ未実施企業群を、一社ずつでも実施企業に変えていく取組みは、“社会とアートをつなぐ”というアートマネジメントの趣旨に反するのだろうか。企業も社会の一部であり、また縮図でもある。メセナに取り組む企業が一社でも増え、その企業内での理解促進に努めることは、メセナ業界全体を底上げし、結果的にアートの活動領域を広げることになるはずだ。
 企業側も、本業以外で社会に対してどんな貢献をすべきかを常に模索している。特に昨今、自社が関わる必然性と、自社らしさのある活動を指向する傾向に見える。ただし、具体的にどうすれば良いのか分からないという戸惑いも実情だろう。メセナの潜在的パートナー候補ともいえるこの企業群に、アート側から歩み寄ることはできないか。企業の持つ特質や資源には、アートに活用できるものが必ずある。それは、人、モノ、資金、場所、ノウハウなどあらゆる可能性を含む。ただし、企業自身もそのことに気づいていない。「御社の資源を活用し、こんなアートを創作したい。そうすれば、社会に対してこんな可能性を提示でき、それは御社の企業理念に通じる」このような問いかけが成立したとき、企業とアートは必然性を持って結びつき、ともに社会に対してのアクションを起こすべき強力なパートナーとなりえる。


【 相手を知り、熱意をもって 】

 企業へのアプローチを行う方々に期待したいポイントは、【相手企業を良く研究し、長期展望で】。攻略企業に目星をつけたならば、少なくとも公式ホームページは熟読し、企業理念や社会との関わり方を“読み解いておく”ことがマナーだ。次に、担当者を特定する。まず電話で、タライ回しは覚悟の上で。正式な担当がいない場合は、ともかく話を聞いてくれる人間を見つける。資料はその個人宛に郵送し、できれば何か一言メッセージを添える心遣いを。その後、改めてアポをとり、訪問して面談となる。その際、芸術性だけを前面に押し出したプレゼンでは、企業側には理解されない。相手が理解できる言葉と価値観で伝える努力が必要だ。言い換えれば、まずは相手の土俵で勝負せよ、ということだ。交渉は、一度ですべて片付くと思うなかれ、訪問を重ね、公演があれば招待し、自身の活動を実体験を持って理解させる。ここまでして初めて共通の言語でのコミュニケーションが可能になる。あとは、徐々に自分の土俵に引きずり込んでいく。支援を得られても、一度に多くは望まずに。前例のない案件に多くの資源を拠出することは、企にとっては相当に高いハードルだ。なにしろ社内の関与者は、担当者1人ではないのだから。
 自分に気のない相手を、しかも住む世界も感覚もまったく違う相手を振り向かせることは、相当の苦労と策を要する。その意味で、パートナー探しは恋愛と似ているかもしれない。口説くためには、相手を知ること。そして最後にモノをいうのは、「あなた(御社)しかいない!」という熱意。企業も人の集合体なのだから。