2009年7月20日月曜日

違いを楽しむ人のパートナーシップ

【 三年目の◎◎◎ぐらい、大目にみてよ 】

 これは、実体験に基づいたフィクションである。主人公は、企業の社会貢献担当者(兼任)。現任部署で3年目。はじめてメセナを実施してから、年に数回、アートイベントとのお付き合いを続けている。業界団体の会合にも顔を出した。顔見知りも増えてきた。「ウチなんて、まだまだですよぉ」と謙遜しながらも、なんとなくメセナのことがわかってきた。それだけに、企業とアートの現場の微妙なズレが、最近気になりだしている。何かが決定的に悪いわけでもないが、なんだかギクシャクする。そんな感じだ。

【 待ちぼうけ、主せっせと別現場 】

 「報告書、まだですかあ?」パートナーNPOへの留守番電話。残念ながら、この催促が毎度のお約束になっている。報告の重要性は「愛せよ!アートマネージャー」でも触れた。相手も事情は理解しているようで、「申し訳ない!出来るだけ早くやります。。。。」と平謝りをしてくれるのだが、一向にカイゼンできそうな気配がない。自社が支援したイベントならば、企業担当者も顔を出して、自分の目で見て判断するのが筋。一方で悲しい兼任担当者、事業の重大案件と重なれば、泣く泣くそちらを優先すべき宿命を背負っている。「他の仕事が重なったので、協賛辞めます」とは行かないので、事情を知るには、報告書に頼るしかないのが現状だ。そうこうしているウチに、次の部内会議の日がやってきた。前夜、やっと電話でつかまえたNPO代表者から、内容をヒアリングして自分で書類にした担当者。すべて伝聞の内容だけに臨場感がない。「予算を使ってるんだから、結果報告ぐらいはしてもらうべきだろう。」と、ごもっともな上司の指導。肩身の狭い会議となった。「報告無し」は、組織ではご法度。情報は担当者だけのものではなく、複数いる社内の関与者すべてで共有し、必要があれば関連部署と「調整」すべきものだからだ。
 一方で、アートの現場も多忙を極める。次から次へと現場が重なる状況で、目前の対応を優先し、「終わったこと」が後回しになるのは、やむを得ないだろう。しかし、いかに多忙でも、A4一枚の書類ぐらい、テンプレートさえ決めておけば、“朝飯前”ならぬ“打ち上げ前”の仕事ではないか。そうならないのは、そもそも「報告書」の定義が、双方で違っているからだろう。報告書にも、いろんな形式がある。ここで企業がいう報告書とは、5W1Hと簡単な結果をまとめた「簡易レポート」。何が起こって、一体どうなったのか、要点が簡潔に伝われば良い。一方、NPOがいう報告書とは、レイアウトはバッチリ、写真満載、分析も含めて後の資料として残すべき資料、アートの現場で通称「ドキュメント」と呼ばれているものだ。「なんで簡易報告書ぐらい、すぐに出来ないの?」vs「ドキュメントなんて、そんなに簡単に作れない!」双方どちらも間違っていない。単に、議論の前提条件が食い違っているだけだ。

【 不安 ファン We hit the step!step! 】

 「え?!ご招待の人数増えたの?どんな立場の方?」自社主催のコンサート、開場直前に招待席の席数を確認していた企業担当者の手が止まった。今日は初めて、直属上司のそのまた上、部長クラスの上司が現場に顔を見せることになっている。「いや・・・○○さん(関係者)が“もう一人”連れてこられるとのことで、詳しいことは・・・」と、NPO代表者。「それじゃあ、困るんだけどなあ・・・」と不安げな担当者。現場の高いテンションもあってか、ひとしきり地団太を踏んだあと、担当者は事務所方向にすっとんで行った。座席なんてたくさんあるのに、一人増えたことをなぜそこまで気にするのか、NPO代表者にはわからなかった。

 企業の中にも、実はイベントに類する行事は数多くある。株主総会、会社見学会など、趣旨や目的は全く違うが、企業が主催する集客イベントであることは同じだ。運営するのは基本的に社員。来客は自社にとってのVIPばかりだけに、完璧な段取りと粗相のない対応が求められる。椅子が足りない、資料が足りない、コーヒーを出すタイミングを間違えた、そんなミスなど言語道断。来客は何人で、何時に何名来るのか、それによって関連部署はどう連携するのか、、、、予想した通りにコトが進んで及第点。ひとつ歯車が狂えばすべてが狂う。臨機応変な現場対応でその場をおさめたとしても、「事前準備が足りなかった」として反省会のネタになることは必至だ。複数組織が関わるイベント進行に関して、企業人のスキルは実は結構高い。では、こうした「常識」の中にいる企業人にとって、アートの現場はどう見えるのだろうか。
 アートの現場には、きっちりとした進行や運営を、敢えて持たない現場だってたくさんある。型にはめることを必ずしも良しとぜず、そこで起こる場の予測できない変化を期待する。この主旨からすれば、前述した企業の常識など優先順位は高くなくて当然。両者の違いは良い悪いの問題ではなく、その場で目指すべき方向性のすれ違いなのだ。この現状をもって、「段取りのスキルが低い!」と断じられれば、NPOにとってはたまったものではないだろう。
 冒頭の事例も、タネを明かせばすれ違いの産物だ。企業人にとって上位者のアテンドは、それなりに気を使うもの。“ほとんど顔見知り”のアートの現場であっても、自分の上司は異邦人。そのため、初対面でも双方にとって失礼のない対応ができるように、あらかじめ担当者は「ご来社リスト」を作成し、来場者それぞれの立場や取り組み内容について部長にレクチャーしていたのだ。「不明者」の出現を気にする担当者の気苦労を、ご理解いただけるだろうか。

【 手間を惜しまず、相互理解を 】

 企業とNPO、お互いの流儀が違うことは、説明されれば理解できる。それは「多様な価値観」というほど大げさなものでななく、溝を埋める努力はいくらでも出来ると思っている。報告書の事例で言えば、簡易版を先につくって提出し、あとからそれに付加情報をくわえてドキュメント化すれば良い。現場の事例で言えば、事前に関係者とのミーティングの場をもち、双方が現場に求めるものを事細かにすり合わせしておけば事足りる話だ。「コミュニケーション不足」と結論づけるのは簡単。しかし、それでは信頼できるパートナーにはなりえない。違いがあって当然の両者、その理由も含めて双方が違いを認識し、違いを埋める双方からの努力を惜しんではいけない。そして、その役を担い、結果を互いのホームグラウンドにフィードバックする役割を果たすのが、企業・アート双方の「アートマネージャー」ではないか。
 パートナー探しは恋愛に似ている。所詮は生まれも育ちも違う他人同士、「あばたもエクボ」の時期を過ぎれば、「アナタのそーいうところが前から気に食わなかったのよ!」と喧嘩もするだろう。そのたびに、きっちりと仲直りをしておくことをお勧めしたい。それもまた、協働の醍醐味で楽しいものではないか。大きなズレがあるなら、最初からご縁はない。些細なズレの積み重ねが、信頼関係にヒビを入れる可能性をお忘れなく。