2009年11月1日日曜日

スポンサーとパートナー 後編

【 企業担当者、現場に現る 】

 「みなさん、おはようございます。私が、責任者の○○社の○○です。この企画は、○○○という主旨で実施しますので、よろしくお願いします。」私の所信表明のあと、その場にいる全員の名前と役割りを紹介する。アーティストも当日ボランティアも等しく。これは、自社が主催する企画で、現場仕事を始めるまえの儀式。外部スタッフに言わせて見れば「こんな現場は、珍しい」のだそうだ。もちろん、規模がそれほど大きく無いから出来ることでもあるが、これには、前稿のスーツ事件依頼、私なりの主催者像について試行錯誤を重ねてきたこだわりがある。

 バブル崩壊後、冠協賛的だった企業メセナも変わった。ひらたく言えば、「資金は出すが口は出さない」から「資金も口も出す」へと、企業の関わり方が変化した。察するに変化の過程で、企業とNPOの関係性について、教科書的ではなく現場レベルでの議論が十分なされていなかったように感じる。そのことが、前稿にあげた関係性のひずみ、「パートナー的スポンサー」の問題を噴出させたように思えてならない。

【 特攻野朗 えぇチーム 】

 両者は、「社会的意義に基づいた対等の協働」であり、便宜上、主催者を企業が勤めているに過ぎないのだと理解しようと思った。だとしたら、「まかせきりで、現場の事情もわからぬのに口だけ出す」のは自分の性に合わなかった。どうせ口出しするなら中途半端ではなく、現場のど真ん中で手も足も出しながら「主催者」という“役割り”をまっとうしようと思った。そう、「主催者」とは単なる「役割り」なのだと。パートナーシップにおいて、NPOも、アーティストも、技術スタッフも、学生ボランティアも、それぞれが自身のスキルや感性を活かして、ひとつの目的に向かって取り組むチーム。それは企画を適切に運営するための役割り分担であり、上下関係であってはならないと思っている。

 では主催者が現場で果たすべき役割りとは何か。私はこれを「責任者としての行動」だと理解している。責任者とは、自ら企画の方向性を示し、描いた通りに現場が滞りなく進行するように先回りして諸問題を解決し、失敗の責任をとるべき役割りだ。だからこそ、必要な人材を任免し、役割りを委託する権限を持つことができる。一方で自社内だけで、必要なスキルを揃えることは困難。そのために、スペシャリストや同じ志を持つNPOと協働する。長い思考スパイラルを経て、私の思考はずいぶんシンプルになっていた。
 だからこそ、企画の方向性を決定するまでは、徹底的にパートナーと議論した。NPOは企業の担当者と面と向かって喧嘩できねばならない。それを権威や企業の都合だけで押さえ付けるのではなく、真正面から受けて立つ気概を企業担当者は持たねばならない。ある式典の席上、私は自社のパートナーNPOの代表者を指し、「○○さんは、私に平気で喧嘩を売ります」と紹介した。会場からは笑いが起こったが、そんな関係こそ協働の真髄ではないかと、内心誇らしく思っていたものだ。

【 餅は餅屋、カモメはカモメ 】

 現場運営のスキルにおいて、責任者が、全ての役割りの詳細を把握することは難しい。そもそも、その道のスペシャリスト達相手に、私がとやかく言えるワケもない。また、素人が犯してはならない領分があるとも思っている。それに、スキルを気にするあまり大胆な企画を出せなくなるとしたら、本末転倒だ。なので私は、スペシャリスト達を遠慮なく頼るようにしている。「こんなコトがしたいんです。やり方はお任せします」。それを逸脱する場合だけ、相談して対応することにしている。もちろん、役割間をまたがるトラブルの場合、解決できるのは責任者をおいて他に居ない。重要なのはやり方そのものではなく、各パートの目指すべき方向性を一致させること。方向性に合致するかのジャッジこそが責任者の役割りだ。それに、お任せすればたいていの場合、私の想像を超えたリアクションが得られる。まさに、嬉しい誤算というべきものだ。
 そして、それぞれの役割りは全員に周知する。誰が責任者で、誰が何を担うのか。冒頭の儀式はこのためのもの。そうすることで、トラブル時の駆け込み先を明確にし、コミュニケーションしやすい環境を作ろうと思った。

 コミュニケーションに関して言えば、やはり人間同士、普段から接していることが一番。責任者=雲上人だと思われていたら、誰も素直に相談なんかしないだろう。その意味でも現場に頻繁に顔を出し、時にはバカ話も交えながら、スタッフひとりひとりとコミュニケーションするように勤めている。私が現場に違和感なく居るようになってからは、各位がプロジェクトを指していう表現が以前と変わった。それまで「○○さん(アーティスト名)のダンスプロジェクトで・・・」と企画の中身に評した置いた表現だったのが、「○○社さんとのプロジェクトで・・・」と企業との関わりを自然に表現してもらえるようになった。自社の存在が必然性をもって受け入れられた、証拠だと思った。

【 too Far away 】

 そうして迎えた本番、責任者としての役割りがまっとうできれば、本番においてはお客さまをお迎えすること以外には、責任者とは特に何もすることが無いものだ。「本番が一番楽」なときは、うまく現場を進められたとホッとする。そして私は、本番では人一倍楽しむことにしている。面白いコトは面白いといい、それを自分で面白がってやってみる。もちろん私の場合は意図的ではなく自然とそうなるのだが、それは、言葉で評価する何倍も、現場に勢いをつけると思っている。

 以上、自分なりの方法論を確立するまでに、随分と長い時間を要した。もちろん、これが必ずしも正解だとは思っていない。また、このほかに企業メセナにおいて重視すべき要素はいくらでもあるが、それは稿を改めることにする。
 それに、本番が一番楽だったことなんて、片手で数えられるほどしかない。あいかわらず目指す社会的課題の実現は遠く、かくも主催者は過酷なものかと痛感する。それでも、タッグを組めるパートナーと、無茶な要求にエイやっと応えてくれるスペシャリスト達のおかげで、なんとかここまで走ってこれた。責任者とは、感謝の気持ちを持たなければやっていけない役割りだと実感する毎日だ。

 かくして私は、今も本番中に、会場の一番後ろでじっと立って見ている。相変わらず“無難なゴルフファッション”とは一線を画すイケてるファッション(のつもり)を身に纏い。十数年前と同じく何も作業はしないが、顔つきと居心地は随分とやわらかくなった気がする。